2012/01/07 (Sat) 境界線の旅の途中

2012年、明けました。今年もよろしくお願いします。

さて、昨日の夕刊に日本人俳優、加瀬亮も出演しているガス・ヴァン・サント監督の映画「永遠の僕たち」についての記事が載っていた。
読んでみた。
「ガス・ヴァン・サント監督は生や死、善や悪といった概念を境界線で分けて見せない」と書いてある。
おお、と思った。
わたしがいつも、気になっているのも、まさにその「境界線のあいまいさ」だからだ。

とくに生と死については、自分が年齢を重ねるごとに、そのグレイゾーンの奥行きを実感する。
老いるというのは、その豊かな懐を持つ、生と死の間のグレイゾーンを旅することだ。

善と悪だってそうだ。
こちらの場合は、グレイゾーンどころかネガとポジのように、ある人にとっての善が別な人にとって悪である、なんてことはそう珍しいことではない。

気がつくと、わたしの視線はいつも、境界線のあたりをふわふわと漂っている。
イメージでいうと、海岸、窓、川辺、空、屋上。
今年は、その漂う視線のピントをゆっくりと、静かに合わせて、自分にとってのあいまいな境界線を、何かの形で表現してみたいと思う。

まずは「永遠の僕たち」を観たいな。
加瀬亮、大好きだし。

日常 |


2011/11/26 (Sat) 女と女と針と糸

久しぶりにブログを開いたら、また広告が出てしまっていた。
更新時だ。
孤独死一歩手前だった叔父の葬式(といっても小さな家族葬)でのこと、その後、わたしにまかされたアパートの遺品整理のことなど、書きたいことは多々あれど、とりあえず今は、夏(これもだいぶ前のことだ…)にみた映画、「キルトに綴る愛 (原題 American Quilt)」でみつけて、なんとなくノートに書きとめておいた言葉を。

americanquilts.jpg

Young lovers seek perfection.
Old lovers lean the art of sewing shreds together,
and of seeing beauty in a multiplicity of patches.

(若者は、完全な愛を求める。 
年を経た者は、端切れを縫い合わせ 
その色の重なり合いの中に美を見い出す)


青森県に「こぎん刺し」という伝統の手仕事があるそうだ。
ひと針、ひと針、模様を刺す。
その行為は、国籍をこえて、かっての女性たちにとって、自己表現であり、自分の感情と静かに向き合うための大切な時間だったのかもしれない。

映画 |


2011/10/13 (Thu) 「孤独」を食べるバク

一週間ほど前、浜崎あゆみのライブに行った。
正直いうと、彼女の曲は、今まで、ただの一度も共感したことはなかった。

彼女より歌がうまい女性歌手は他にもたくさんいる。
楽曲も私の好みじゃない。
顔は確かにかわいいけれど、舞台に立つには小柄。
踊らない。(踊れない?)

舞台に立つ人間としては、決して恵まれた素材ではない。

でもわたしは、舞台上の彼女に強く引きつけられた。
彼女の中の何が、そんなに私の心を引き寄せたのだろう。

たぶんそれは、彼女の中にブラックホールのように横たわっている深い孤独、だ。
アーティスト、浜崎あゆみというのは、夢を食べるバクのように、観客の「孤独」を自分の中に取り込み、それをまた再生産することで存在しているのかもしれない、と思った。

Youtubeで「卒業写真」をカバーしている映像をみつけた。

浜崎あゆみの歌う「卒業写真」は、やはり孤独な、一人きりで完結している世界だった。

歌詞にある「古い写真の中で微笑むあなた」は、普通なら卒業アルバムに載った恋人の設定だろうが、浜崎あゆみが歌うと、わたしにはなぜか、「優しい目をして笑っている」彼女自身の卒業写真が浮かぶ。

「人ごみに流されて変わっていく私」を優しく叱ってほしいのは、有名になる前の過去の自分?
それとも、彼女がかたくなに守り、抱えてきた「ほんとうの自分」?

なんていう妄想をかきたてられてしまう。

もしかしたらこんな妄想、それこそが、確信犯的に孤独を商う彼女の仕事なんだな、きっと。

日常 |


2011/07/23 (Sat) 犬の玩具

病を抱えながら一人暮らしを続けていた70代の叔父が、ついに力尽きて入院した。
もうこれ以上、治療ができないため、普通の病院ではなく、限りなくホスピスに近い看護付き老人施設だ。たぶん、もう家には戻れないだろう。

先日、母と長兄である伯父と私の3人で、主のいない叔父の部屋に短い間、集まった。ずっと独身で通した叔父には自分の家族はいない。
介護保険でレンタルしていたベッドの返却に立会い、きれい好きの母によって不要物がほとんど片付けられた居間で、母と伯父が今後のことを話しあっていた。
といっても、伯父はほとんど耳が聞こえないので、母がホワイトボードを持っての筆談だ。
「Xデーがきたら葬式はどうするか」とか、けっこう深刻な話なのだが、ホワイトボードとマーカーを使っての老人同士の会話なので、なんとなくのんびりと間が抜けている。

叔父の部屋は、新築の県営住宅。エレベーター付きで、マンションと相違ない外観。
抽選倍率の高い人気物件だが、同じ敷地内に建っていた老朽化した前の住宅の住人を優先的に、ということでラッキーにも、希望通りの部屋に入居できたらしい。
8階にある南向きのその部屋は、老人の一人暮らしには広すぎるほど広い3LDKで、駿河湾が一望でき、日当たり、風通し抜群。おまけに家賃は、びっくりするほど安い(叔父が年金暮らしの低所得者だからだけど)。
せっかく、こんないい部屋に恵まれたのだから、もっと長く、この部屋に住んでいたかっただろうに。
私は、病を抱えた叔父が、この部屋で一人、何を考え、どんな風に生活していたんだろう等と思いながら、真夏でもエアコン要らずの快適な窓辺で、ぼんやり風に吹かれた。

「これ、病室に持っていってやろうかねぇ」
と、突然、母の声がした。

振り返ると、母が犬の玩具を持って立っている。
それは、全長が大人の肩幅くらいのフワフワとした手触りの犬のぬいぐるみだった。
でも、ただのぬいぐるみではなく、電池で動くらしい。
人の声に反応して、鳴いたり、甘えたり、しっぽを振って歩いたりする、あのアイボのローテク版みたいなものだ。

「あの子(母にとっては70代の老人でも、手のかかる末の弟だ)、これ、自分で買ったんだって」
「ふうん」
私は、一人暮らしの老人が、電池で動く、子供用の犬のぬいぐるみを買うところを想像した。
お孫さんへのプレゼントですか、なんて聞かれたのだろうか。
なんだか胸が痛くなりそうなので、あまり考えないことにしてすぐに答えた。
「…持っていってやりなよ」
「でも4人部屋だから、他の人に迷惑がかからないかねぇ」
「電池を抜いて、鳴かないようにすればいいじゃん」
「そうだねぇ。そうしようか」
母は、どこからか犬の玩具の空き箱をさがしてきて、持ち帰るためにしまい始めた。

そんな母を横目に、私はまた、この部屋で叔父がどんな風に暮らしていたんだろうと思いながら、ぼんやり風に吹かれた。

日常 |


2011/06/20 (Mon) デタラメで素敵な地層

なんでも、忘れていく。
たのしかったことも。かなしかったことも。くるしかったことも。うれしかったことも。
心を震わせてくれた誰かの言葉も。映画のワンシーンも。本のページも。
でも。
一度忘れてしまっても、今度は、脳が勝手に潜在意識からひっぱり出して、都合のいいように記憶を書き換えて、自分勝手な「思い出」にしてしまうことも少なくない。記憶の敗者復活戦。
たぶん、そんな勝手な「思い出」が、何層にも積み重なったものが人生。
うーん。おもたい。おもたいけど、実はデタラメ。
みんながそれぞれ、そんなデタラメな地層を抱えて生きている。
そう思うと人生って、なんてバカバカしくて、素敵なんだろう。

なんてことを、昨夜のハッチハッチェルバンドのライブをみながら思いました。

どうせ一度の人生なら、グチをいったり、悩むより、笑ったり、楽しんだりする時間が多い方がいいにきまってる。

そんなシンプルな真理を改めて気づかせてくれた、トータス松本を繊細にしたような(好きなタイプ!)ハッチハッチェルさん。昨夜は、そんな彼がうたう姿を脳裏に100年プリントしながら、雨の中、鼻歌まじりで家に帰ったのでありました。徒歩で。


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